今回は古墳時代の中国や朝鮮半島に目を向けてみましょう。
中国の分裂と南北朝時代の到来
280年には晋が中国を統一します。3世紀中頃~4世紀後半は古墳時代前期にあたるので、晋が中国を統一したのは古墳時代前期にあたりますね。
ところが4世紀のはじめ頃になると北方諸民族の侵入により晋は衰え、華北では五胡十六国が、江南では宋をはじめとする4国が次々と興亡する南北朝時代に突入します。
中国の弱体化
要は280年以降、中国を統一していた晋が衰えて、中国が分裂してしまった。それが南北朝時代です。その結果、中国の周辺諸国への影響力は弱まります。
高句麗の強大化
中国の影響力が弱まると朝鮮半島北部の高句麗が強大化し313年には中国の植民地であった楽浪郡を滅ぼし、南下政策をとるようになります。
朝鮮半島南部の情勢
一方、朝鮮半島南部では百済、新羅、伽耶が興ります。百済と新羅は単一の国家ですが伽耶は統一されておらず、複数の小国の連合体でした。そのため加耶のことを伽耶諸国と呼ぶ場合もあります。
ヤマト政権の朝鮮半島進出とその狙い
古墳時代のヤマト政権は主に鉄資源や技術を求めて伽耶諸国へと進出します。さらに百済との関係を深めます。このため利害関係の対立する高句麗と戦うことになります。
なお、ヤマト政権と高句麗が交戦した記録は高句麗好太王碑文に記録されています。好太王碑文については下記の記事で是非確認してみてくださいね。
また日本は高句麗に対抗するために中国の宋に朝貢します。朝貢とはお土産をもって挨拶に行くことですね。宋に朝貢したのは倭の五王(讃・珍・済・興・武)です。讃→珍→済→興→武は倭の五王が宋に朝貢を行った順番ですよ!
このあたりの詳細については『宋書』倭国伝に詳しい経緯が書いてあります。重要史料ですので下記の記事から内容をしっかり確認しておいてくださいね。
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