『隋書』倭国伝の覚え方・効率的な暗記方法
この記事では『隋書』倭国伝の内容を超わかりやすく説明していきます。
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日本史の定期テスト・大学受験・歴史能力検定に役立つ内容になっています。難関大学の入試問題にも十分対応できる中身になっています!
また『隋書』倭国伝の解説を読んだ後に効率的に用語暗記ができるよう記事の最後に下記のような一問一答を9題、設置しました。
例題607年、推古天皇は、( )を隋に派遣した。[明治大]「+解答解説」ボタンを押すと「解説」と「答え」を確認することができます。
この記事をうまく活用すれば「解説で理解」→「一問一答で暗記」の二段構えで『隋書』倭国伝を完全マスターできます!
『隋書』倭国伝を超わかりやすく解説!
『隋書』倭国伝の概要
『隋書』倭国伝は7世紀に魏徴らが作った「隋」の歴史書です。
そのはしっこのほうに倭についての記述がちょびっとだけあります。特にポイントになってくるのは遣隋使に関する部分です。
では、早速ですが、『隋書』倭国伝の本文を一緒に読み解いていきましょう!
『隋書』倭国伝の内容
まずは一番最初の遣隋使に関する記述から確認していきます。
第1回:600年の遣隋使について
推古天皇の時代の外交と言えば遣隋使ですね。ちなみにこの時代の権力者は厩戸王(聖徳太子)と大臣の蘇我馬子の2人です。
確かにこの記述には倭王の紹介がありますが、「多利思比孤」というのは男性の名前です。
推古天皇は女性なので、「アメ」、「多利思比孤」の部分は誰のことを指しているのかいまいち分かっていません。
で、上記の遣隋使の記録には、600年に一番最初の遣隋使を送ったときのことについて書かれています。「開皇二十年」が西暦600年のことです。
有名な607年の小野妹子の遣隋使は2回目なので注意してくださいね。
第1回目の遣隋使の使者の名前は分かっていません。
西暦600年の話なので推古天皇の時代に初回の遣隋使が行われたことになります。
この初回の遣隋使の記録は日本側の史料には記載がありません。『隋書』倭国伝にのみ書いてあります。
なお、このときの隋の皇帝は文帝なので注意してくださいね。「上、所司をして其の風俗を訪はしむ。」の「上」が文帝のことを指しています!
続いて、607年の2回目の遣隋使について書いてある部分を確認していきましょう。有名な小野妹子の遣隋使に関する記述です。
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第2回:607年の遣隋使について
冒頭の「大業三年」とは西暦607年のことです。小野妹子を中国に派遣した年です。
「倭王が朝貢してきた」という意味ですね。
「海西の菩薩天子」とは隋の皇帝、煬帝のことです。
2回目の小野妹子の遣隋使は煬帝の治世に実施されました。
この部分が問題の「国書」の中身です。「太陽が昇る国(日本)の天皇が、太陽の沈む国(中国)の天皇に書を送ります。お元気でしょうか?」と書かれています。
ここで、
- 「日出づる処の天子」=「倭王」
- 「日没する処の天子」=「煬帝」
です。
日本は従来の朝貢外交をやめて、対等外交を求めたわけですね。それで煬帝は激怒した。
「翌608年には裴世清を日本に使者として送った」という意味です。
煬帝は激怒したものの、高句麗と戦争する計画があったため、日本とはケンカしたくなかった。そこで結局、国書を無視せず、裴世清を日本に派遣することにしたわけです。
第3回:608年の遣隋使について
608年に日本に来た裴世清ですが、『日本書紀』によれば、同608年、早くも帰国します。
このとき裴世清の帰国にあわせて、小野妹子ももう一度、隋へ向かいます。さらに高向玄理・南淵請安・旻の3名も勉強のために同行します。この3人のうち、高向玄理と旻の2人は、帰国後に大化の改新で大活躍しますよ。
これが608年の第3回遣隋使です。
推古天皇、蘇我馬子、聖徳太子(厩戸王)らは中国との対等外交を成功させたわけですね。
ちなみに、余談にはなりますが、614年にも遣隋使が行われています。このときの日本側の使者は犬上御田鍬です。
しかしこの4年後の618年には隋は滅んでしまい中国は唐の時代になります。
さて、ここからは一問一答で知識を定着させていきましょう!
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一問一答!7題
なお「+解答解説」ボタンを押すと「解説」と「答え」を確認することができます。
1.第1回遣隋使のときの隋の皇帝は誰か?
2.次の史料を読んで後の設問に答えよ。
大業三年、其の王多利思比孤、使を遣して朝貢す。使者曰く「聞くならく、海西の菩薩天子、重ねて仏法を興すと。故、遣して朝拝せしめ、兼ねて沙門数十人、来りて仏法を学ぶ」と。その国書に曰く、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや、云々」と。帝、之を覧て悦ばず。
問1.この史料の出典は何か?[関西学院大]
問2.「大業三年」とは西暦何年か?[同志社大]
問3.男性名である「多利思比孤」の有力な候補者は推古天皇と( )である。[北海道大・改題]
問4.「使を遣わして朝貢す」の「使」とは( )を指す。[法政大]
問5.「帝、之を覧て悦ばず」の「帝」とは( )をさす。[関西学院大]
3.608年の遣隋使に同行した留学生に(①)が、留学僧に(②)や南淵請安がいる。[早稲田大]
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おわりに
ここまで読んでいただき本当にありがとうございました!繰り返し当記事の解説や一問一答を読み込むことで、日本史の知識が定着しますので、是非、この記事をブックマークして日本史学習の参考にして頂ければ幸いです!
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