墾田永年私財法の復習
元正天皇の時代には口分田の不足が深刻になり、これを解決するために長屋王政権が百万町歩開墾計画や三世一身法を出しますが、これら2つの土地改革は失敗に終わります。
そこで、恭仁京に遷都した後、聖武天皇もとで橘諸兄政権は743年に墾田永年私財法を出します。
墾田永年私財法は開墾した土地の永久私有を認める法令ですから、土地の国有は諦めざるを得ません。
そこで、語呂合わせです。
墾田永年私財法の史料と現代語訳-出典『続日本紀』
さて、それでは大学入試超頻出史料である墾田永年私財法の史料を確認していきましょう!
出典は『続日本紀』です。
現代語訳743年5月、天皇の詔によって、開墾地は三世一身法により期限が過ぎれば国に返還させてきた。このため農民は期限が近づくと意欲を失い、せっかく開墾した土地もまた荒れ果ててしまっていた。そこで、以後、開墾した土地の私有を認め、三世一身法をやめ、永久に国家は土地を取り上げてはならない。
「養老七年の格」は三世一身法の別名ですが、この言葉に騙されて、三世一身法の史料と勘違いしないことが大切ですね。
下記の赤字部分から墾田永年私財法の史料だと見抜きたいところです。
任に私財と為し、三世一身を論ずることなく、咸悉に永年取ること莫れ
この墾田永年私財法によって、公地公民制が崩壊し、大寺院・貴族・地方豪族たちが次々に土地を開墾し私有地を広げていきました。
こうして生まれた大規模な私有地を初期荘園といいます。
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