「稲荷山古墳出土鉄剣銘」の効率的な覚え方・暗記方法
この記事では「稲荷山古墳出土鉄剣銘」を超わかりやすく解説していきます。あわせて記事の最後には下記のような一問一答も収録しています。
例題( )古墳は、埼玉県にある5世紀の遺跡で、出土した鉄剣には「獲加多支鹵大王」の文字が刻まれている。[同志社大]※「+解答解説」ボタンを押すと「解説」と「答え」を確認できます。
解説と一問一答の二段構えで効率的に「理解/暗記」できる仕組みになっています。
さて、早速ですが「稲荷山古墳出土鉄剣銘」の本文を確認していきましょう。
稲荷山古墳出土鉄剣銘の超わかりやすい解説
概要
稲荷山古墳出土鉄剣銘とは埼玉県の稲荷山古墳から出土した金石文で、乎獲居という人物の業績が書いてある文章です。
この乎獲居という人がどういう人物で何をしたかは日本史的にはあまり重要ではなく、「5世紀にはヤマト政権の勢力範囲が関東にまで及んでいた」ことが非常に大切です。
また応神天皇のとき王仁が文字を伝えたと言われていますが、それを証明する最古の史料が『稲荷山古墳出土鉄剣銘』です。
まずは「稲荷山古墳出土鉄剣」の「表」から見ていきましょう。
表の文(辛亥の年=471年)
辛亥の年とは西暦471年のことです。これは入試頻出事項です。表の文で重要なのは年号だけですね。5世紀のヤマト政権のことについて書かれた史料という点をおさえて下さい。
続いて、裏の文を確認していきましょう。
裏の文
稲荷山古墳に葬られている埼玉県の地方豪族の自伝のようなものです。恐らく大王の護衛隊の隊長のような仕事をしていた人物と考えられます。どうやら埼玉県の豪族が大和の中枢で仕事をしていたらしい。
この鉄剣銘に出てくる「獲加多支鹵大王」とは雄略天皇のことです。この点が一番重要なポイントですね。文字は一部欠けていますが熊本県の江田船山古墳出土鉄刀銘にも「獲□□□鹵大王」という文言が登場します。これもワカタケル大王だと考えられています。
これらの事実から、5世紀のヤマト政権の支配領域は少なくとも九州~関東に及んでいたことがわかります。
さて、史料の解説はここまででです。比較的短い史料ですが試験にはよく出題されます。特に大学受験では頻出です。なので、ここからは一問一答で「確認/暗記」していきましょう!定期試験や歴史能力検定にも役立つ内容になっています。
一問一答!
※「+解答解説」ボタンを押すと「解説」と「答え」を確認できます。
1.次の史料を読み、設問に答えよ。
「辛亥年7月中記す。乎獲居臣、上祖の名は意富比垝、其の児多加利足尼…」
問1.この銘文は( )古墳出土鉄剣に記されている。[同志社大]
問2.この鉄剣が出土した古墳のある都道府県はどこか?[國學院大]
問3.「辛亥年」とは西暦何年か?[早稲田大]
問4.この鉄剣に記載のある「獲加多支鹵大王」は( )天皇とされる。[早稲田大・改題]
2.熊本県( )古墳出土鉄刀や埼玉県稲荷山古墳から出土した鉄剣の銘文は、ヤマト政権の大王「ワカタケル」と地方の首長との強い結びつきを示している。[南山大・改題]
おわりに
ここまで読んでいただき本当にありがとうございました!繰り返し当記事の解説や一問一答を読み込むことで、日本史の知識が定着しますので、是非、この記事をブックマークして日本史学習の参考にして頂ければ幸いです!
コメント