継体天皇とは・意味

継体天皇

武烈ぶれつ天皇が死去し、仁徳にんとく天皇の系譜けいふが途絶えると、天皇家は断絶の危機に直面した。このとき大伴金村おおとものかなむらは越前(現在の福井県あたり)から、男大述王おおどのおうを迎え、6世紀初め頃、継体けいたい天皇として即位させた。

天皇家断絶の危機を救ったことにより大伴金村は強力な権力を持つようになるが、百済くだらへの任那四県みまなよんけん割譲かつじょうが遠因となって失脚した。

また、在位中に五経博士ごきょうはかせが来日した。

継体天皇の時代の出来事を年表形式でまとめると次のようになる。

継体朝の主な出来事
  • 512年
    任那四県の割譲

    朝鮮半島の経営を任されていた大伴金村が百済に任那四県を割譲した。

  • 527年
    磐井いわいの乱

    九州の大豪族、筑紫国造磐井つくしのくにのみやつこいわい新羅しらぎと結び朝廷の軍隊を九州で阻止した。

  • 528年
    磐井の鎮圧

    物部麁鹿火もののべのあらかびが磐井を鎮圧し、磐井の領地には屯倉が設置された。なお磐井は戦死し岩戸山いわとやま古墳に埋葬された。

なお、飛鳥時代は592年~710年の間であるが、大学受験日本史では、飛鳥時代からの出題で継体天皇が問われることもある。

関連用語

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