大伴金村
大伴金村は武烈朝、継体朝で軍事を担当した大連である。
大伴金村は越前(福井県)から継体天皇を迎えて即位させたことで、絶大な権力を握った。
また大伴金村は朝鮮半島の経営も担当した。
大伴金村の失脚
しかし、512年に百済に対し任那四県を割譲したことを物部尾輿に追求され540年に失脚した。
任那四県の百済への割譲で追求された背景には百済から賄賂を受け取った疑惑がある。
また、任那四県の割譲の結果、ヤマト政権の朝鮮半島での立場は悪化した。
こうして大伴氏が急速に権力を失うと、蘇我氏と物部氏が対立を深めた。
大伴氏のその後
なお、大伴氏自体は壬申の乱後に再び勢力を取り戻し、奈良時代に栄えたが、藤原氏との対立が原因で、大伴家持以降、急速に衰えた。