3分でわかる!水稲耕作の始まり[高校日本史B]

弥生時代

前回の縄文時代の解説に引き続き、今回は「弥生文化の成立」について説明していきたいと思います。

弥生時代のはじまり

縄文晩期の九州北部

縄文時代晩期の紀元前5~4世紀になると、朝鮮半島から九州北部に渡来してきた人々が水稲耕作すいとうこうさく金属器きんぞくき弥生土器やよいどきなどを伝えます。

水稲耕作とは水田(田んぼ)で米作りをすることです。金属器とは青銅器せいどうき鉄器てっきの2種類を総称したものです。弥生土器とは薄手で固く赤焼きで文様の少ない土器のことで縄文土器より丈夫に作られたものです。

縄文時代の晩期にはすでに九州北部で水稲耕作が始まっていました。このことは佐賀県菜畑遺跡なばたけいせき福岡県板付遺跡いたづけいせきから確認することができます。

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弥生文化の成立

そして紀元前3世紀頃になると水稲耕作や金属器の使用が九州北部から次第に西日本に広がっていきます。

さらに弥生時代前期の終わり頃には水稲耕作の技術が青森県にまで到達します。このことは砂沢遺跡すなざわいせきから確認することができます。

これが弥生文化です。

弥生時代とは

従って弥生時代は紀元前3世紀頃~紀元3世紀頃までの時代のことです。

水稲耕作のはじまりと本格化

水稲耕作自体は縄文晩期に北部九州ですでに始まっていましたが、この水稲耕作が本格的に普及するのは弥生時代になってからです。

続縄文文化と貝塚文化

但し、北海道沖縄県には水稲耕作の文化が伝わりませんでした。そのため、弥生時代以降の北海道を続縄文文化ぞくじょうもんぶんか、沖縄を貝塚文化かいづかぶんかと呼びます。

続縄文文化では狩猟採集を中心とする文化です。これに対し沖縄や南西諸島に普及した貝塚文化は畑作と漁労(漁業のこと)を中心とする文化でした。

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